三線関連のサイトや書籍を見ると必ずと言っていいほど、唄三線(うたさんしん)という言葉を目にします。歌三線とも書きますが、三線というのはやればやるほど伴奏楽器として発展したものではなく、唄の補助として、あるいは唄と同一に奏でる存在としてここまできたんだな、と感じます。
ギターでもピアノでもそうですが、歌わずに伴奏者として成り立つ楽器は多く(むしろそのほうが多い)、歌に自信のない私などはギターという楽器が性に合っていました。
しかし、三線は逆です。
師匠や先輩からは、三線は止まっても声を出せ、言われます。これは三線は間違えても良いという意味ではなく、それよりも歌が大事だという意味で言われます。最初はそんな指導が実に新鮮に感じたものです。これは別の師匠のところに行っても同じです。三線は大袈裟にいうと、歌の補助的な役割であって、メインではありません。
よって、これから三線を始める方はそのことを重々ご承知おきください。なぜこんな事を書くかと言いますと、歌わずに弾くだけだと恐ろしくつまらないのが三線、とも言えるからです。ギターの場合、伴奏楽器として発展した楽器ですから、毎日部屋で自分で弾いてるだけでも充分楽しいですし、練習することが山ほどあります。泣きのフレーズもあれば、超絶技巧の早弾きもあります。
三線の場合、繰り返しになりますが歌の補助です。私のやっている古典などは特に感じますが、歌と伴奏の音がズレてたりします。ん?この曲作った昔の人、適当に弾いてた?なんで感じるぐらい、メロディーと伴奏がズレてると感じるものも多々あります。なので、歌わずに弾いてると、曲として成立しないのです。
唄三線って言われるから歌わなければダメってことではなく、歌わないと片手落ちぐらいか、7割ぐらいごっそり何かが足らないのが三線なのです。